0002:豊川 孝弘七段 ①
○主 催:株式会社共同通信社
○棋 戦:第43期棋王戦
○備 考:予選
○対局日:平成29(2017)年01月26日
○対局場:大阪市福島区 関西将棋会館
○持時間:各4時間
先手▲:藤 井 聡 太 四段(14)
後手△:豊 川 孝 弘 七段(49)
注①:( )内は、対局時点の年齢。
注②:「藤井聡太全局集 平成28・29年度版
日本将棋連盟発行」より、棋譜参照
豊川 孝弘 七段 のこと
○棋士番号:200
○生年月日:昭和42(1967)年02月20日
○出身地 :東京都杉並区
○クラス :竜王戦(6組)、順位戦(C級1組)
基本図:角交換その他
基本図は、角換わりの将棋。以後、腰掛け銀や棒銀等の展開が考えられる。
ここで、ちょっとしたエピソード。
昔、「腰掛け銀」と言う言葉が、一流企業の入社試験にでたことがあるそうだ。
それは、角換わり腰掛け銀戦法が大流行し、将棋ファンのみならず、その垣根を越えて、社会的にも大きな反響があったことの一つの証明かもしれない。
時代的には、還暦を超えた棋楽が、まだ生まれる前から、将棋を覚えるまでだから、およそ昭和30年代に流行したのだろう。
後に、テレビ対局や将棋雑誌などで、「木村定跡」や「駅馬車定跡」、そして「がっちゃん銀」などが解説されていたことが、懐かしく思い起こされる。
戦型や手順などは、今となっては全く覚えていないが、先後激しい打撃戦の将棋になるか、先後千日手模様の将棋となる印象が残っている。
角換わりの将棋で、覚えた定跡手順を真似して、先攻・猛攻しても、どうも旨く攻めきれない。そして、結局は最終盤で引っ繰り返される。
かと言って、先攻・猛攻を見送ったり、躊躇すれば、千日手模様となる。だから、将棋大会で、角換わりの将棋は指しにくいのである。
一部強豪を除く多くのアマチュアの方々にとっては、ある意味、なんともやっかいな戦法でなのである。
第01図:次の一手は?
第01図は、先手藤井の▲4六歩、後手豊川の△9四歩に、先手藤井が端歩を受けずに、▲3六歩と指した局面である。
ここで、後手豊川が指した次の一手を、次の候補手から、お考えいただきたい。(3択)
①△3三銀
②△8三銀
③△9五歩
第02図:正解の一手は?
【正解】
後手豊川が指した正解の一手は、△9五歩。
【雑感】
①△3三銀
第01の局面、後手は、どのような駒組みを目指すのか。△4二銀型であるため、
第一に、△6四歩から、△6三銀、△5四銀と「腰掛け銀」が目指すことが考えられる。
第二に、△7四歩から、△7三銀、△6四銀と「早繰り銀」を目指すことが考えられる。
しかし、後手4二銀型であるため、何れの場合も、常に▲5五角の筋が気になる局面だ。
後手△3三銀は、自陣の整備を急ぎ、▲5五角の筋を消す考え方だ。
②△8三銀
△8三銀は、先手の「腰掛け銀」に対して、後手「棒銀」で対抗しようとするものである。
仮に、第01図、後手豊川の△9四歩に、先手藤井が▲9六歩と受けていれば、後手△8三銀も考えられたかもしれない。
③△9五歩
後手豊川が指した正解の一手は、△9五歩である。
もちろん棋楽には、その手の意味を到底理解することはできないが、棋楽なら以下のとおり考える。※
※ 豊川の真意を確認したものではなく、あくまでも棋楽の考え方であることを、お断りしておく。
後手△9四歩の局面で、通常アマチュアの将棋なら、何も考えずに▲9六と受けるか、精々▲1六歩、△1四歩に、▲9六歩と受ける、といったところだろう。
後手△9四歩は、「棒銀戦法」を含みとして、所謂、先手の様子を見た手と思われる。
ところが、先手藤井は、端歩の一手の価値を秤にかけ、▲3六歩から▲3七桂の活用を急いだ。
つまり、先手藤井は、あくまでも先攻することを考え、千日手など、全く想定していないのだ。
一方、後手としては局面が千日手模様となれば、端歩の突き越しは後手の大きなアドバンテージとなることは言うまでもない。
後手豊川と先手藤井の年齢差は35歳の差がある。所謂、大人と子供の年齢差である。しかも先手の藤井は中学生棋士なのだ。
後手△9四歩に、端歩を受けなかった先手藤井に、「一丁プロの厳しさを教えてやろう。」と思ったとしても不思議ではない。
こう言った機微は、コンピュータ将棋にはなく、人が指す将棋だからこそ存在する。だからこそ、プロ・アマを問わず、多くの者が将棋に魅了されるのだ。
第03図:明日の一手は?
第03図は、第02図から、▲3七桂、△3三銀、▲2五歩、△4二玉、▲6八玉、△6四歩と進んだ局面である。
さて、ここで先手藤井が指した次の一手を、ノーヒントでお考えいただきたい。
スポンサーリンク